懐疑派blog

2004/06/16

年金騒動

■川本裕子「年金騒動からの正しい教訓」(早稲田大学オピニオン)

 まず第一の教訓。国民は自分の生活に直接関係する年金の問題にこれまで十分な関心を払ってこなかったことを率直に肝に銘ずべき、ということです。確かに制度を運営する厚生労働省の情報開示の問題は根深くありますが、国民が関心を強く持たない限り、政治も真剣に制度改革に取り組みません。むしろ年金問題に初めてこれだけ大きな国民や政治の関心が集まったことは今回の最大の収穫だったといっていいでしょう。

 教訓その二。今回国会を通過した制度改正では問題はほとんど解決されず、これからがまさしく本番です。保険料の大幅引き上げは大問題ですが、当初の制度改正案には評価できる面もありました。将来経済成長が想定以下だった場合には給付水準を調整する仕組みによって年金制度の持続可能性を高めようとしたのです。しかし、この点は与党間の調整の中で、そうした調整を事実上不可能とする修正が入ってしまい、内容的にも何のための改正だったのかわからなくなってしまいました。

 第三の教訓は、今回の議論の迷走振りを見るにつけても、本質を見据えた議論の必要性に目を向けることです。それは持続可能な給付と負担のあり方を明らかにすることに他なりません。年金問題が難しいのは、これからまだ負担の期間が長い世代と、負担の期間がほぼ終わるか、終わってしまって給付を受けている世代との間で利害が対立することです。しかし、こうした利害対立も、「持続可能性」を追求することで乗り越えることが可能ではないでしょうか。いくら十分な給付水準を制度が「保証」してくれていても、その水準を実現するためには、「負担」をかかえられる元気の良い経済がなければ絵に描いた餅です。持続可能性のある年金制度はどの世代にとっても共通の利益のはずです。「年金制度の一元化」がにわかに脚光を浴びましたが、その意味で過度の期待は禁物です。現在の年金制度が多岐に分かれていて様々な不公平感があるのは確かで、制度改正の梃子として一元化論は有効です。ただ、持続可能な給付と負担のあり方を実現しなければ根本的な問題解決となりません。

 第四に、将来の年金受給者への情報提供サービスの不備、年金資金を「流用」した非効率な福利施設の建設などから明らかになったように、公的年金の国営事業体質の抜本改革は避けられません。そもそも、40%に上るという国民年金保険料の未納率の背景には、保険料徴収ができなくても、最後は国が面倒を見てくれるという組織の甘えがあります。国民の目から見れば明日からでも可能な徴収効率化策、すなわち国税庁・税務署との統合に厚生労働省が抵抗するのも典型的な官僚組織の論理です。さらに言えば、公費(国民の税金)で赤字を補填してもらい、倒産の心配のない「親方日の丸」事業だからこそ、採算倒れになることが確実な高利回り年金商品(後世代につけ回しする給付水準)をこれまで平気の平左で売り続けてきたわけで、そこに問題の根源があります。

 最後に、メディアの報道の仕方にも今後の教訓が残されたように感じます。全く同じ新聞紙面上で現役世代の負担が増えて世代間の不公平が批判されるのと同時に、給付減額の仕組みが手厳しく攻撃されるのをしばしば見ました。無いものねだりをしていても議論は前に進みません。今回の議論を通じて国民の認識・知識のレベルは一段上がってきています。年金制度改革で問われているのは、日本が国家として将来世代の利益を考え抜いて意思決定できるか、日本人が如何に世代を超えた自治能力を発揮できるかだと思います。こうした高い視座に立って検証していくことがこれからも大切だと思います。
川本裕子って早稲田大学に移動してたのか。植草一秀、筑紫哲也、重村智計…知名度のある奴を教壇に立たせてイメージアップか。まぁ私の中ではダウンする一方だが。